清水寺の歴史


京都観光の名所「清水寺」は、京都市東山区、清水山(音羽山)の中腹に位置し、北法相宗(きたほっそうしゅう)の本山です。「清水の舞台」とよばれる舞台造の本堂が有名で、西国三十三か所観音霊場(かんのんれいじょう)の第16番札所(ふだしょ)になっています。

●778年(宝亀9年)
清水寺の歴史は、大和子島寺の僧侶である延鎮上人(えんちんしょうにん)から始まります。延鎮は夢のお告げによって霊泉を訪ねて北に向かったところ、たどり着いたのは現在の清水寺の建つ音羽山(おとわさん)でした。延鎮は「音羽の滝」のそばに家を建て住みついたのです。

●798年(延暦17年)
坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ・758‐811、後に征夷大将軍となった)は鹿を捕えようとして音羽山に入り込み、修行中の延鎮に出会い、殺生を戒められました。これに感銘を受けた坂上田村麻呂は、妻と共に自邸をお堂として寄進し、「御本尊十一面千手観音」を安置しました。このお堂が清水寺のお寺としての始まりといわれています。

●805年(延暦24年)
坂上田村麻呂は桓武天皇から寺地を賜り、弘仁元年(810年)に嵯峨天皇の勅許を得て公認の寺院となった。

●1094年(嘉保1年)
興福寺(こうふくじ)の隆禅が導師となり、落慶供養が行なわれた。その後長い間、清水寺は興福寺の支配下に置かれ、南都仏教の京都拠点となった。そのために比叡山延暦寺(ひえいざん えんりゃくじ)に所属していた祇園感神院(ぎおん かんじんいん)(現在の八坂神社)や周囲の寺社と衝突を繰り返すことが多く、興福寺と延暦寺の争いに
発展したこともあった。このため清水寺は戦火と火災・落雷により本堂をはじめとする伽藍は幾度も焼失しました。

●1633年(寛永10年)
徳川家光の寄進によって再建されました。現在の本堂です。同じ年にこの他の多くの諸堂も再建されたのです。
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